空をとびたいと望むことあるいは可能でないことの記述について

 


Oscar Isaac - Fare thee well Orignal soundtrack (Inside Llewyn Davis)

 

If I had wings like Noah's dove
I'd fly the river to the one I love
Fare thee well, oh honey, fare thee well.

 

空をとぶことは「できないこと」のカテゴリに属する。僕たちはできないことに対して憧憬をおぼえる。僕たちが空をとぶことを夢見るのは、それが実際にはできないからで、過去が過去として価値を持つのは、それが二度と戻れないものとしてあるからだ。
ジャンケレヴィッチは「還らぬ時と郷愁」のなかで、時間に対する記述をこころみる。時間は一般に不可逆性のものと考えられており、一方向に流れるもので、僕たちはそれをコントロールすることができない。時計の針を逆に回してみたところで、時間が巻き戻るわけではない。そうであるから、時間を記述するといっても、時間のコントロールを試みる、その一環として時間を把握しようとするのではない。あらゆる「できないこと」を一手に集めたものとして時間を取り上げ、それについてできるかぎり正確な記述をしようとするのである。書かれたものにはそれを書いた人の意図が反映されるとすれば、このように不可能なものに対して記述をこころみるというのは、どういう意図があるのだろうか。空をとぶことを不可能であるとしながら、それを望むというのは、どのような気持ちのすることなのだろうか。僕はそういった意図に対する疑問を持ちながら、同時に、そうしようとする気持ちに納得できる。わざわざだれかに説得されないでも、はじめから納得している。僕だって空をとびたい。それで川を越えたいとか、大事な人に会いに行きたいとか、そういうことではない。川を越えるのだったら橋を渡ればいい、大事な人に会いに行くのであれば電車に乗ればいい、わざわざ空をとぶ必要なんてどこにもない。空をとぶことは可能ではないのにそれをのぞむのだから、許されていないことをあえてしたいという反抗的な気持ちが自分のなかにあるのを認めなければならない。可能ではないことが自分の目の前にはっきりとある、それを認めたくない気持ちが空をとびたいという幼稚な欲求に結びついている。
時間に対して記述することをもって向かうのは、幼稚な欲求の高度な現れである。言葉によってそれを正確に写し取ろうとするのは骨の折れることであると同時に、まったくの徒労である。人はいつか死ぬという言葉を口にする者はつねに空しい。みじめたらしくなく「自分もいつか死ぬ」と言うことのできる人間はいない。それができるのは死なない人間だけだ。自分の持てる限りの力を用いて最大限陽気に振る舞おうとする人も、いつか死ぬことからくる哀愁の感情からは逃れられない。それでも最大限陽気に振る舞おうとするのはなぜか。この動機こそ、時間に対する記述をこころみることの動機と通底している。人生を陽気にすごす必要などどこにもない。また、時間というどうにもできないものに対して記述によって向き合おうとする必要もどこにもない。必要がないのにもかかわらずそれを望むことが可能であること、それが自由ということの中身なのではないか。愛するのはなぜか。もちろん、それが必要だからということは言おうとすれば言える。おそらく、実際に必要なのだろう。なんのためにという問いはどこかでうやむやにしなければならない。どこまでもなんのためにを問うこともできるが、それをどこかで止めにすることは必要とするための条件である。大小様々な足掻きのなかで、自分にとって大きなものを必死になって求めていくこと、どうせ悪あがきなのであれば、もっとも大きなものに向かって足掻きたいと思うのはやはり人情なのではないだろうか。どうせ勝つ見込みがないのであれば、世界最強のチームと対戦して木っ端微塵に粉砕されたいと思うのは、負けず嫌いにとってむしろ自然な欲求ではないか。そしてそのなかでも、勝負の領域を限定して、たとえば「相手チームよりも声が出ていた」という一事をもって自ら慰めとするのは、笑うべきことではあるにせよ、仕方のないことではないか。愛するということは第三者の視点では笑うべきことである。そして、それを仕方のないことだといえるのはそれを経験するものに限られるだろう。時間に対してこれをコントロールできないまでも、記述することに専念し、それにわずかな、取るに足りない満足をおぼえるのは仕方がないことだ。空をとぶことができないにもかかわらず、それを望むのも仕方がないことだ。人が歌うのも、陽気な人生をすごそうとするのも、電車に乗って大事な人に会いに行くのも、すべて仕方がないことだ。そして、笑うべきことだ。それをすることによって、むざむざ限られた時間を費消しているのだから、笑うよりほか仕方ない。
 
 
 

 

還らぬ時と郷愁 (ポリロゴス叢書)

還らぬ時と郷愁 (ポリロゴス叢書)

 

 

 ひとは、前を見るように前向きに目がある。しかし、また、振り返ることもできる。