サイズ感

 
自分の服のサイズをきっちり把握するところからオシャレは始まる。
これ着たいあれ着たいだけではオシャレさんにはなれない。自分には何が似合うのか、何が似合わないのか、つねに己れに問わねばならぬ。
 
文章における文体もそれと同じで、かっちりフォーマルな装い、無邪気にファンシーな装い、典雅にトラッドな装い、親しげカジュアルな装い、どれを選ぶにせよ、身の丈をまずは考えねばならぬ。それを疎かにしては何にもならない。ただただチグハグな印象を与えるだけでは、あんまり、よくない。
 
そんなことは百も承知しておるのに、どうもしっくりこないような文体を作ってしまう。文章を書いているときに生じる一連の流れのようなものから逸脱した言葉遣いを、つい、選んじゃう。
この種の逸脱は、オシャレ用語でいうところの「ハズし」というやつだが、自分の場合、自分の文章を書く場合、くどいまでにハズしたくなる。ちっちゃい子供が照れからまっすぐ立てない、みたいなのを地でいく。
 
でもね。何を着ていても、堂々としていたら、それで立派なオシャレさんなのだ。そのことを朝昼晩、いつもいつも肝に銘じて、気張らねばならぬ。
そうあってこそ、あれ着たいこれ着たいと言うことができる。そしたら、間違いなく、楽しい。
楽しいんだったら、べつにまっすぐ立つ必要もない。でも、あえてまっすぐ立つのが楽しそうと思えるなら、まっすぐ立ってみるのも、いい。
 
経験上のことでいうと、照れ隠しとしての直立不動は相補的で効率もいい。けれども、やり過ぎて照れ隠しじゃなくなったら、あんまり、よくない。
直立不動で居直ったら、それはもう、何にもならない。なーんにも、ならない。
 
あたらしいポーズを、サービス精神の発露を、つぎつぎに思いつかないといけない。