正しいインスピレーションと楽しいイントネーション

 

概念がある。概念はない。
頭のなかに概念がある。目に見える場所に概念はない。
たとえばインスピレーションというのはひらめきとも言い表すことができる概念である。インスピレーションのしっぽをいつも追いかけているような気がする。いつかインスピレーションと肩を並べて歩きたいと思う。こういう表現はもちろん実際のことではなく、もののたとえである。頭のなかの概念を外に出すときにはイメージのちからを借りるほうがうまくいくから、わざと純粋な領域から一歩後退して雑味を加える。インスピレーションという概念は確固たるもので本来ならばブレがない。インスピレーションという言葉が表わすのはインスピレーション以外のなにものでもない。似た概念を使った言い換えをすることは可能だが、それをしても循環に陥るだけである。インスピレーションとはひらめきである、ひらめきとはインスピレーションである、というように。概念とは厳然たるものであそびがない。頭のなかにある概念はとくにそうで、どこにも到達することなく頭のなかで完成している概念こそ、もっとも完璧な概念だといえる。概念を外に持ち出そうとすると、純粋さから一歩後退することを余儀なくされる。しかし、頭のなかにとどめておけばそれだけで完璧な概念たるものかというと、それもあやしい。とくに感情の介在する概念になると、その感情に名前をつけた時点で決定的になくしてしまう完全性がある。映画をみて感動して泣きそうになったときに、「愛情・感動」などの言葉で状況の説明をつけようとして、「自分はいま感動しているな」という考えが思い浮かんで、途端に鼻白むという経験はだれにもあるのではないだろうか。感情という本来不定形のものに名前をつけるのは無理な話なのだ。一方で、名前をつけても何ら完全性を失わない概念もある。有名なのは数字だ。思い浮かべても1は1だし、口に出しても1は1、ノートに書いても1は1だ。歌ってみたところで、1は2になったりしない。泣いても笑っても1は1だ。1を1としてイメージすることは可能かといわれれば、はなはだ心もとない。おそらく不可能だと思う。みかんが「1個」、羊が「1匹」というように、なにかをそこに付帯させずにはいられない。そしてそれは本来不要なものである。本質に何らの影響も与えない雑音と言ってしまっていい。では、インスピレーションという概念の場合はどうか。言い方によって、インスピレーションの意味内容は変わらないだろうか。これは微妙なところである。声に出すときインスピレーションの意味が大きく変化することはないにしても、ニュアンスの変化ということは十分にありえる。雑音がインスピレーションに影響を与える。インスピレーションという声を耳にするとき、イン・スピレーションと区切りをつけるのと、インスピ・レーション、インスピレー・ションと区切りをつけるのでは受け取り方に差が出るのはありえそうなことであるし、自分としてはインスピレーションと口にするときに、区切り方やイントネーションの付け方によって微妙な情報を付け加えようとするというのは十分ありえることだと思っている。書くという段になっても事情は同じで、インスピレーションが湧く、ひらめきが走る、というように似た意味で微妙に異なるニュアンスを使い分けることができる。この場合だと「湧く」「走る」のちがいによってイメージをコントロールすることができる。イメージの操作が可能。あそびがないと思っていた概念にもあそびがあることになる。概念が表わす意味内容というのはひとつ、多くてもふたつみっつよっついつつぐらいのものだが、言い方によって無数のバリエーションを生むことになる。そうとなれば、本来単色のものに色をつけるのは言い方ひとつということになる。言い方の重要性を確認することができるあそびに「インスピレーションごっこ」というのがある。これは僕が考えた完全オリジナルのあそびで、ひとりでもできるというところに大きな魅力がある。まず、なんでもいいので元となる概念を用意する。例としてインスピレーションがわかりやすいのでインスピレーションごっこと名づけたのだが、なんでもいいのでひとつの概念を100通りの言い方で口に出して言うというだけの遊びだ。このゲームを実際にやってみるとわかることだが、ある段階までくるとゲシュタルト崩壊を起こすことになる。インスピレーションの概念がだんだん後退していって、声の抑揚や高低、リズムの付け方が表面に浮かび上がってくる。はじめインスピレーションと口にしたときの「インスピレーション感覚」が奥まったところに隠れはじめて、本来ノイズとしてしか感知されない言葉の響きが前面にせり出してくる。インスピレーションの概念が本体なのか、インスピレーションの発音が本体なのか、次第にわからなくなるのである。安心してほしいのだが、これは一時的な気の迷いで、飽きてくるとインスピレーションの概念が自分のなかで再浮上する。それでもこりずにゲームを続けているとふたたびインスピレーションの発音が浮上し、シーソーのようにインスピレーションの概念と発音が上下する。そういった趣旨のゲームなのである。実際にやったことはないがおそらく。
もうひとつ、より高級なゲームがある。何が高級かというと、このゲームはひとりでもできるが、複数人でもできるからだ。他人も参加させられるゲームというのは前述の低級なあそびにはない贅沢さがある。そのゲームの名前は「テーマしりとり」という。ルールは簡単、ある共通テーマを設定して、それに沿った言葉だけを使ってしりとりをするというものだ。たとえばテーマが「かっこいい」だった場合、「かっこいい言葉」を使ってしりとりをする。かっこいいかどうかというのはイメージの領域で、しかもそれを裁定するのはゲーム参加者なので、その場に沿ったかっこよさをつかんで言葉を選択しなければならない。同じ言葉でもイントネーションひとつでOKを出されたりNGを出されたりするので、色の付け方というのも試される。「ん」で終わると本来のしりとりでは負けになるが、その言葉が最高にテーマに沿った言葉だったと満場一致で認められた場合は「フィニッシュする」ことができる。フィニッシュすると勝ちである。満場一致で認められず「フィニッシュ失敗」すると負けである。なかなかエキサイティンなゲームであるので、ご家族ご友人と秋の夜長を楽しんでみてはいかがだろうか。夏、夏はBBQに行こう。
 

 

 

 

キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) レストバーベキューロングトング40cm M-7636

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