バレンタイン考

 

虚無感の問題は時に和らぐことはあっても尽きることはない。おそらく死ぬまで続くだろう。君にも僕にもそういった深淵はいつか覗く。意識するにせよしないにせよ。遅かれ早かれ。ぞっとしない話で申し訳ないが、これは事実だ。

しかし心配するには及ばない。最も虚無感が強い瞬間にそれを和らげる方法を身につけることで、虚無感に対処することはできる。
 

虚無感を和らげる方法は他人を利用することだ。虚無感というのは、自分に対する自分自身による責めが主成分である。そこに自分ひとりで立ち向かおうとしてもうまくいくはずがない。蜘蛛の巣の中でのたうちまわる蝶のように、がんじがらめのどうにもならない状況に自分を追い込むことになるだけだ。

虚無感と向き合っているときには気付きにくいことだが、そこに不純物を付け加えると状況は劇的に改善する。その不純物こそが他人である。

 

では具体的にどうすればいいのか。それを言うためにこの記事を書いた。

それは「バレンタインデーにチョコレートをあげる」ことだ。
たしかに、月並みではある。
だが考えてみてほしい。そもそも誰か特定の人間にチョコレートをあげる予定がある人は虚無感とは無縁である。〈自分が思い描く誰か〉を笑顔にすることができる人は虚無感からはほど遠い。それに習えばいいのだ。
僕はべつに恋愛至上主義者ではないので恋愛をしなければならないという現代社会の同調圧力に与するものではない。恋愛というのは「しなければならないもの」などではなく「してもいいもの」だと考えている。だからこそ恋愛には尊いところがあるんだと僕は思う。
 
ところで、チョコレートを特定の誰かにあげる予定がない人はチョコレートをあげる自由を持たないわけではない。

恋愛感情抜きでも、女の子がチョコレートをあげるのは十分成立するんだということを僕は言いたい。そんなことは21世紀も15年経った今となっては常識の範疇なのだが、それでも、このことはいくら強調しても強調しすぎるということはない。

 

あなたは誰かにチョコレートをあげることができるのだ。

それは言い換えるとあなたは誰かを笑顔にすることができるということだ。
バレンタインデーにチョコレートをもらって嬉しくならない男は、いや、そんな人間はいない。感謝の気持ちや喜びの感情を表に出すのが難しいシチュエーションというのはあっても、実際に嬉しくならない人間はいない。このことを考えてみてほしい。
 
そして、誰かを喜ばせたり誰かに感謝される人間は、その瞬間、虚無感から遠ざかる。
また、その経験を記憶しておいて、本当に苦しい時に思い出すようにしてみてほしい。そういう瞬間があったという思い出は、寒い日の一本のマッチようにあなたの心をあたためてくれるはずだ。
虚無感という闇のさなか、この灯があるのとないのとで本当に大きなちがいになる。たった一本のマッチでも持っていれば、ぎりぎりのところでなんとかやっていけたりする。
 
何をそんな大層にと思うかもしれない。
では、事態を反対側から見てみよう。バレンタインデーにチョコレートを貰えない不憫な男の側から。
 
おそらく彼は虚無感に親しい。彼は深い闇の中を彷徨っている。自分一人の力では抜け出すことのできない深い穴の中に閉じ込められている。
だがそれでも、彼はバレンタイン当日には虚無感を意識しないだろう。バレンタインデーという日をやり過ごすためには気を張っている必要があるからだ。気を張っている時、人間は虚無感に襲われない。しかし3日も経てば元通り、虚無感はふたたび彼に忍び寄る。
まさにその時、明暗を分けるのが一個のチョコレートだ。それさえあれば、ぎりぎりのところをなんとかしのいでいける。

もうあまりくどくどと書き立てまい。

僕にチョコレートください。お願いします。