松本大洋「SUNNY」を読んだ。

 
松本大洋の「SUNNY」を読んだ。この漫画はつよくおすすめしたい。
6巻が最終巻ということで、ちょっと寂しい気もするけど、勝手なことを言っていてはいけない。
読み取ることのできるすべてがサニーのなかで展開されていたのだから、寂しくなったら読み返せばいい。漫画というのは読み返すことができるから本当に素晴らしいと思う。
静くんと春男のつかの間の同道には、僕たちが人生で手にし得るかぎりのもので、最高の煌めきがあったように思う。
人生における瞬間は、どの瞬間であっても人生と結びついている。そうであるからこそ、人生にとっていい瞬間/わるい瞬間という区別が生まれる。人生にいい影響を与える瞬間がいい瞬間であり、人生にわるい影響を及ぼすのがわるい瞬間である。しかし人生の生活者たるわれわれは、その瞬間が自分の人生にとっていい影響になるか、それともわるい影響になるかということを判断できないということもしばしばである。人間万事塞翁が馬という故事にもある通り、ある程度は経験則で判断することができても、それがのちのちまで考えて本当にいいのか、あるいはわるいのかと問われると、首を傾げざるをえない。
しかし、稀にではあるが、人生を超えているかのような瞬間がある。いい/わるいというのが自分の人生への影響において判断される、いわば人生のための瞬間であるのとは根本から異なり、この瞬間のために人生があったと確信されるような、人生以上の瞬間がある。まさに最高の煌めき。

悲しいことが、悲しくてたまらないと思った経験がいつか助けになるという教えは、それそのものとしては人生知の域を出ない。しかし、眠れない夜に、秘密のドライブに連れて行ってもらったこと、そこで言われたことというのは、その瞬間、明らかに人生の知恵を超えている。
最終巻である6巻では、静くんと春男の道が分かれることになる。そのことを思うと嬉しくて悲しくて、わけのわからない感情があふれてくる。静くんも春男もそれぞれ、長い人生を進んでいくには抱えきれないほどの瞬間を手にいれている。そういう瞬間は眩しすぎる。べつに覚えていなくてもいい、忘れられるぐらいのほうがいいに決まっている。
最高の煌めきというのは、その瞬間というのは、いつまでも覚えていなければならないものでもなければ、絶対に忘れられないものでもない。記憶は曖昧なものだし、簡単に捻じ曲げられたりもする。そのとき、瞬間も変形をこうむることになるだろうが、最高の煌めきでありながら変形したりもできるところが瞬間のすばらしいところではないかと思う。
そして漫画というのは瞬間を保存することができるというべつのすばらしさを持っている。サニーを読んでよみがえってくる瞬間というのは、自分自身かつて持っていて今はなくしてしまった瞬間とつながっているように思う。僕たちの道はびっくりするぐらいあっけなく分かれるから、覚えているのは簡単ではないけど、思い出すことだってできる。それはとても悲しかったし、思い出すとやっぱり悲しくなるけど、思い出せたことは嬉しい。
 

 

Sunny 6 (IKKI COMIX)

Sunny 6 (IKKI COMIX)