とりあえずの目的について

 

僕はどちらかといえば手段と目的を分けて考えるタイプだ。

目的と手段にははっきりした主従関係がみられる。目的がえらくて手段がそれに従う。目的のために手段があるのであって、その逆ではない。倒錯とかないかぎりは。

 

たとえば、牧場に行くのは羊を見に行くための手段だといえる。しかし羊を見に行くのは何かの手段ではない。羊を見ることはそれ自体が目的だ。

目的というのは、これは何かの手段であるという考えが思い浮かばないところにあるのだと思う。羊を見て、羊の生態に詳しくなろうというつもりがあるのなら、羊の生態に詳しくなるということが目的だといえる。自分の行為に動機を探ってみて、とくに何も思いつかないのであれば、その行為自体を目的と考えるのは妥当であるだろう。

しかし、物事というのはおおよそ突き詰めて考えられるもので、目的と思っている行為であってもそれが何かの手段なのではないかと考えることもできる。自分のとった行為の説明が求められるような場合、少なくともそれを仮構することはできるし、実際にそうしたとき、目的だと思っていた行為の目的性はうすれ、べつの目的が生まれることになるのは想像に難くない。

そのようなとき、羊を見るのが好きだからという説明に留めるということが大事になってくる。好きに理由はいらないというのは共通理解として成立しているから、人様にむかって「なぜそれが好きなのか」という追撃は、よっぽどの与太郎でない限りは浴びせてこないだろう。嫌いなものには理由もあるだろうが、好きなものは好きなのである。

そうは言っても、僕は僕自身のことになると大変恥ずかしいことに与太郎になりやすい性質をもっているので、自分はなぜこういうことが好きなんだろうと自問してはジリジリしたりすることも多い。毎回答えなんか出ないからだ。

だからもういっそ思い切ってしまって、自分に向かっても単に好きで終わらせることも多い。だけどそれはそれで、人に理由を訊かれたとき用の仮答案も用意していないので、うまく自分が好きなものの良さを説明できない。好きなもののよさを本当に説明できたためしがない。さらに悪い事に、好きなものは後から後から湧いて出てくるから、あれも好きこれも好きとなって、それらを無頓着に横並びに並べて平気な顔して済ましている。いつか、あれも好きこれも好きといって形成された壁一面の好物から何らかの共通点を見つけられればいいなと漠然と思っているのだけど。

目的をひとつに絞って、それ以外のすべてを手段と考えることはできないし、したいとも思わない。僕が飲みに行くのは飲みたいからだ。絵を見るのは絵を見たいからだ。本を読むのも映画を見るのも友達に会うのも、それがやりたいことだからだ。

純粋に目的意識を計測すれば、何らかの数値が出て、それをもとに何らかの計算をして、その計算結果を勘案しながら、行為を選択するということも、やればやれないこともないのかもしれない。でもその計算をすると、目的の目的性が遠のいていって、すべての行為が何かの手段のようにしか感じられなくなるのではないかという危惧がある。

好きなものが多い僕でも、目的だと感じられる物事の数は指折り数えるほどしかない。自分のやることなすことすべてが目的と感じられず、手段としか思えないというような事態は避けたい。

そういうことを考えると、いわゆる芸術というやつは、目的性がつよいというか目的そのものというか目的の象徴みたいなところがあるので、やっぱりグレートだと思う。音楽を聴くのに理由はいらないし、絵を見るのに動機を探る必要はない。

 

本当にそれがやりたいことなのか? という疑問は恐るべきもので、たまにそういうことを考えた途端、物事全体がつまらないものに思えてしょうがなくなることがある。これは周期的な発作のようなもので、放っておいたら勝手にどこかにいってしまうくだらない考えにすぎないのだけど、そのせいで「本当にそれがやりたいことなのか?」という問いは僕のなかでは完全に悪者になってしまった。やっぱり「本当に」がとくに曲者だと思う。どうも「本当に」と聞くと断言する気持ちがなくなるようだ。

だから僕にとっては、「とりあえずはそれがやりたい」というのがもっとも誠実な回答ということになるのだけど、とりあえずというのはあまり外聞が良くないものなので、省略することにしている。でもやっぱり、「とりあえず」というのは大事な姿勢だと思う。いいとかわるいとかそういうことは言えないけれど、少なくとも僕にとってはかなり大事な考え方のひとつだ。正直なところ、最近では「本当に」よりも「とりあえず」のほうがグレートなんじゃないかと思うようになってきている。

本当にがあってこそのとりあえずだということはとりあえず置いておいて。

 

 

行人

行人

 

 

自分のしている事が、自分の目的エンドになっていないほど苦しい事はない