音楽性のちがいを認めるかどうかのちがい


音楽性の違いを理由に解散するバンドは多い。
それが表向きの理由で、実際には人間関係のドロドロが二進も三進も行かなくなっての解散だったとしても、理由を音楽性の違いということにしておくバンドが多いのは、なんとなく音楽性の違いということにしておけば納得感があるだろうという考え方の土台があるからだと思う。
しかし、音楽性の違いなんていうのは絶対にあるべきだと思うし、もしメンバー間に音楽性の違いがないのであればバンドを組む意味なんてないとさえ思う。そう、私は音楽性の違い主義者です。
ひと口に音楽性の違いといっても色々なレベルの音楽性の違いがある。演歌が好きかラップが好きかという音楽性の違いもあれば、私は音楽に詳しくないから全然具体的なものが思い浮かばないんだけど、とにかく些細な、少なくとも聴く側からすればあんまりピンとこないレベルでの違いもある(んだろうと思う)。

でも、仲間意識というか一緒にやってるぜ感が強まった個人間の紐帯にとって、細かな差異が大きな違いに感じられるというのは、べつに音楽に限らず、よくある話。たとえばだけど、似たもの同士が集まったはずのサークルで「お前らとは全然ちゃうわ」とかいって一人月を見上げるみたいな覚えが、程度の違いこそあれ、おそらく全員にあるものだと思う。

似ているところが多ければ多いほど数少ない違いがとてつもなく大きなものに感じられるという「孤独の錯覚」がやっぱりあるわけです。そういう孤独の錯覚を各自育てたほうが絶対面白くなるというのが今回の私の主張のおおまかなところです。

音楽性の違いをできるだけ無くしましょうなんていうのは暴論もいいとこで、だからといって、音楽性の違いがあるのは当然だからみんな違ってみんないいなんていうのは愚論にすぎない。価値観はそれぞれだから、などというアホみたいな落とし所で満足できるわけがない。
音楽みたいな「趣味の世界」では、お互い征服したり征服されたりというように殺伐としてていいんじゃないか。
いろいろ心配だとは思うけど、たとえば寄ってたかってひとつの趣味を征服するなんていうのは醜いことだし、それがいいと思ってる人たちの趣味に私が影響されるはずない。それぐらいの自信はあるわけです。

でもまあ、自分ひとりだったらそれでいいけど、複数人でやってる場合なんていうのはいろいろと複雑なんだろうとは思う。
だから解散するのか。なるほど。

自分の場合、問題は自分の趣味に対して自信を持ちすぎるところにあって、相手の趣味を傷つけないか常に心配しないといけないわけですが、それはでもべつの話。
お互いこれがいいと思うもの同士をぶつけ合ったりするなかで新しい発見なりがあったら楽しいと思います。趣味の世界に絶対なんていうものは絶対にないわけですから。