マグリット展の感想


このまえマグリット展を見に行った。

シュールレアリスムというものの良さが自分にはわからないということがはっきりした。シュールは好きではない。

たとえば、シュールな笑いだというとき、全然シュールじゃないだろうと思うことが多い。笑うし面白いのだからそれはそれでいいのだけど、宣伝文句として使われるときのシュールには納得していない。
すごくわかりやすく作りこまれた笑いに対してシュールというのは気が引ける。なんとか言ってすましたいのだろうとは思うけど、謎なものを全部ひっくるめてシュールというのはどうかと思う。

マグリットを見て思ったのは気取ってやがるということだった。マグリットのテーマと彼の作品とが直結しているのも面白いとは思えなかった。景色を無視している。しかもそれで堂々としているところがある。気に入らない。

もしマグリットが別の画家といっしょに並べられていたら、自分はほとんどマグリットを無視しただろうと思う。それでもマグリット展である以上、右を見ても左を見てもマグリットなんだからしようがない。あくびを噛み殺しながら絵を見ていった。

ひとりの作家に的を絞った展覧会というのは有意義だと思う。えらいもので、漫然と見ていくうちにだんだん全体的な雰囲気のようなものが掴めてくる。そして、一個は自分の気に入りの絵が見つかる。それさえ見つかればそれを突破口にして別の絵にも興味が出てくる。そうこうするうちに画家の輪郭が浮かび上がってくる。下手をすればちょっと好きにもなる。

誰だってよくわからない絵には興味が持てない。よくわからない人の描いたよくわからない絵ならなおさら。しかし、よくわからない人のよくわからない絵を見てきたあとで、なんとなく知っている人のよくわからない絵を見ると、すこしはわかるような気になる。少なくとも何かを意図して絵筆を執ったんだろうということが想像できる。取り澄ました外見の裏側で、自らのテーマに向き合っているひとりの人間の姿が浮かんできて、なんだかいじましい。

絵を見ると、パッと見の印象では、なんでわざわざこんなふうに描くんだろうかバカなのか、と思っていたものが、そのようにしか描きようがなかったんだろうという気がしてくる。なんだか必死なようである。
一心不乱なものに心動かされやすいのが人情である。絵を見て心を動かされるということはつまりはそういうこと。それが作品から直接受ける感動であれなんであれ。

はじめのうち、どうにもマグリットが気に入らない、というより、おぼろげながら持っていったマグリットのイメージとちがう、どうも違和感がある、と思っていたら、自分のなかでエッシャーとごっちゃになっていた。半可通の面目躍如。


「三人の頭上にそれぞれ浮かぶ月」が一番のお気に入りだった。

あとは有名な「ゴルコンダ」の絵の解説に書いてあった「宙に浮かぶ人には楽観主義が見られる」というマグリットの言葉、そのとおりだと思った。