ゴミだらけの路地


本が好きということと、自分が好きな本が好きということの間には大きな溝がある。
音楽が好きということと自分が好きな音楽が好きということも同じだ。映画も、テレビも、絵も、なんでもそうだ。
僕は本が好きでよく本を読む。しかし、それはどんな本でも活字であればなんでも読むというようなものではない。活字中毒の人は本の中身をおいてもとにかく何かを読んでいたいと思うらしいのだが、僕はそうではない。自分の好きな領域というのがある。その範囲外の本でも読みたいとは思わない。むしろそんなものは読みたくない。基本的に本を読むと目が疲れるし、中身が面白く感じられないと集中できずにすぐ眠くなる。だからどちらかというと僕は本が嫌いだ。世の中にはもっと本が嫌い(本に興味がない)という人が多くいるから相対的に本好きってことになるだけで。
こんなことは当たり前のことなのだけど、本が好き=すべての本が好きということではない。本が好きというのは、(自分の好きな)本が好きということだ。そういうことがわかってないと「自分は本が好きだから将来は本屋さんで働きたい」というようなことをすぐ思ってしまう。本屋の雰囲気が好きだから本屋で働きたいというほうがまだしもである。
大きな本屋にはいろんなコーナーがあるけど、実際にうろちょろするコーナーというのはかなり限定される。どれだけ広い興味がある人でも通りすぎる一角はいくらでもある。僕の場合、ハウツー本とかビジネス本のコーナーは冷ややかな目でチラ見して通りすぎる。園芸の一角など意識もしない。俺はとにかく全部の本が好きなんだ!という本・博愛主義者だったら全部のコーナに行くんだろうし、そういう人が本屋さんにむいてるんじゃないでしょうか。
こんなことを言い出すのは、僕が人・博愛主義者になりたいと思ってその方向で検討していたのを挫折したからだ。俺はとにかく全部の人が好きなんだ!と思いたい一心でいろいろなところに顔を出すという遊びをしていてその遊びに飽きてきたというのもある。
世の中にはいろんな人がいる。そしてどんな人にも面白い一面がある。いろんな人のいろんな面白い一面を楽しみたいと思って、自分の行かなかったところ、通らなかった路地にふらふら入っていった。でも根が臆病ということもあって、ガスマスク着用は欠かせない。自分は精神衛生に関しては潔癖症気味なので、他人の毒気にあてられないように用心に用心を重ねた。ゴミみたいなメンタリティーがうじゃうじゃしてるという予期のもとアドベンチャーを重ねた。礼儀上、無防備な装いを装って。

そういう自分の姿勢が嫌になった、というわけじゃない。そうじゃなくて、なんとなくこんな面白だろうなと事前に想像した以上の面白に出くわさないのがいい加減こたえた。
周りの人のことを面白く感じられないのは自分が面白くないからなんだろうと思うし、結局ガスマスクが邪魔して見るべきものを見逃しているという気がしてくるし、越えてはいけない一線を越えないでいることに必死でそのラインばっかり気にしている、そういうのがつまらないし、つまらないんだったら途端になんでこんなことをしているのだという虚しい気持ちになる。自分が楽しむためにいろいろしてきて、それで楽しくないときの気持ちったらない。すべてが間違っているような気分になる、こういうときどうすればいいのか。
とりあえず本屋さんに行ってハウツー本を探さないと。


自由への道〈1〉 (岩波文庫)

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