音楽のこと

 

最近、ゆらゆら帝国ばっかり聴いている。

 


ゆらゆら帝国 / 発光体 - YouTube


僕は自分で思ってるよりも音楽が好きなんだということを最近知った。
移動の時間には必ずといっていいほど耳にイヤホンをさしているし、部屋でも音楽を聴いてないとき以外はいつも音楽を聴いている。
なんでこんなに音楽を聴くのだろうと考えてみると、音楽を聴くと疲れているときには癒されるし、疲れていないときにはテンションが上がるということがある。どんなコンディションであれ、僕の気分は音楽を聴くことによって確実に良い方向に転がる。
疲れ切っているときには映画を観る気持ちにもならないし、本を読む気持ちにもならない。そういうときでも音楽を聴くことだったらできたりする。その手軽さもいい。
僕は定期的にぼーっとする時間を持たないと調子が出ないタイプなのだが、部屋の中でぼーっとしているとすぐ眠たくなる。そういうときに音楽をかけると、音楽を聴くという行動様式が確立されて寝ることへの歯止めがきく。なんだかんだ寝るのは好きなのでべつの餌で気分を他へ向けないとすぐ寝る。
ぼーっとすることと寝ることは似て非なるものだ。他の行動への移行のしやすさが格段にちがう。機械にたとえると、電源オフとスタンバイぐらいのちがいがある。
ぼーっとしていると何かいいことを思いついてそのまま実行に移すことは容易い。寝てるとおもしろい夢を見られるかもしれないが見られないかもしれない。そもそも何かいいことを思いつかない。
ぼーっとすることは寝ることより何かいいことをするのに向いている。
だから音楽を聴くことはぼーっとすること、ひいてはいいことを思いつくことに結びつく行動だといえる。

それから、音楽とは関係ないが電車移動というのもぼーっとするのに向いている。
電車移動には目的地にむかうというちゃんとした目的がある。しかもオートマティックに目的地につく。そのあいだの時間は自由だ。ガタンゴトン揺れる車内でぼーっとするのは気分が乗りやすい。
まれに車輪の回転が頭の回転にシンクロするような気分になるときがあって、そうなるとかなり捗る。べつに目的があってぼーっとするわけではないけれど、思考が旅行してるような感覚になる。いつもよりもっと遠くに行ける気がする。
そういうまれな気分はコンディションに依るところが大きい。寝不足状態ではまずあり得ない。寝不足のときは電車に乗っても即寝るだけだ。ちょっとでも眠たいマインドがあれば寝てしまうのが電車移動の難点といえば難点だ。
その点、音楽には強引なところがあって、多少の眠さならかき消してくれる。
その代わり、調子がいいときには調子に乗りすぎてぼーっとしていられなくなる。いてもたってもいられない、踊りだしたくなるような気分にさせられる。
でもそれはそれでぼーっとするのをやめて踊ればいいだけの話だ。
 
あと、ぼーっとする方法としては散歩というのもある。これは昔の思想家も採用していた由緒ある方法なんだけど、いかんせん疲れてしまう。夏は暑くて無理だし冬は寒くて無理、雨の降る日も風の吹く日も無理で、あまり融通がきかない。
やっぱり、ぼーっとするか踊るかになる音楽を聴くことが一番いいぼーっとする方法だと思う。なんといっても手軽なのがいい。どっちに転んでも楽しめるのもいい。
 
で、肝心の音楽の中身だけど、僕はポップなやつも嫌いじゃない、嫌いじゃないんだけど、それより大事なのは1億回聴けるかどうかだと思ってる。
ポップ音楽というのは握りやすい把手を用意してくれるから乗りやすいのが利点だ。しかし握りやすい把手というのは音楽的にはどうしてもいびつな部分になってしまうと思う。
はじめキラキラして見えたものも100回も聴くとギトギトしたものに見えてくるというのはひとつのあるあるだと思う。
 
音楽は真実のものだ。
耐用年数を考えたら嘘はないほうがいい。
僕はエンターテインメント含めて世の中の大概のものは嘘でもかまわないと思ってるんだけど、音楽だけは嘘なく真実だけで構成されていてほしいと願っている。どれだけ上手な嘘でも200回も接するとそれが嘘だと気づかされてしまう。
そういうわけで僕にとって音楽は例外的な楽しみだといえる。