ピースのかけら

 

つなげて考えようとしてしまうのって何なのだろう。

いろいろのことが起こると、それらのあいだに因果関係や、なにかしらのつながりを感じ取ってしまうことがある。実際にはなんの関係もなく、つながってもいないとしても、そういうつながりはあるように思える瞬間は少なからずある。

僕は世界を愛しているのだということに気がついたのは小学5年の時だった。それからは周期的にそのことを思い出す。僕が世界を愛しているということ。

一方で、僕はこの世界に不満を持っている。なんでこんななんだろうと思うことは結構頻繁にある。

僕はこのふたつのことをつなげて考えてしまうことがある。たとえば、自分が相反するふたつの意見を持っていることを自分に説明して自分で納得するために、自分は世界を愛しているからその欠点もよく目につく、というようなでっちあげのストーリーを作って。

実際には、僕は世界を愛し、その一方で、世界に不満を持っている、ということなのだと思う。しかし、実際のことが本当に実際のことなのかを確認する術はない。むしろ他人に通りがいいのはでっちあげられた物語の方だったりする。

僕自身、他人が実際にどう思っているかということにはほとんど関心がない。というより、本人による自分が実際にどう思っているかという以上の関心を当人に対して向ける気にはなれない。それでいいというのならそれでいいじゃないかと思う。そしてそういうふうに思うのは、まあ自然なことだと思う。

そういう自然なことに視点を定めると、別々の物事同士にも何らかの関係があると考えるスタンスのほうが自然かもしれないと思えてくる。そうするとつまり、実際のことというのは自然のことなんだろうか。実際のところどうなのかはちょっとわからないけど、そうなんだろうと考えるのはいかにも自然に思われる。

でも自分には、そういう一貫した流れ、自然そのもののような流れを断ち切りたいという願望がある。僕が世界を愛することと、世界への不満に対して怒ることは、やっぱり別のものだと僕は思う。いろいろのことのひとつひとつを、できるだけつなげないようにして考えたいし、つなげないように見ていきたい。