正しい犬の鳴き方について

 

犬はワンと鳴くというのはこれはもう言わずもがなの常識である。

ところが、犬はワンとは鳴かないのである。しかも、これはこれであたり前田のクラッカーなのである。この世界はややこしい。

こういうことを言い出すと、わかる人には何を今更顔をされるし、わからない人にはきょとん顔をされるし、僕はそのふたつの顔の違いが見分けられないこともあって、あんまりよくない感じだけが、どうよくないのか分からないままに漂う。だから本当は言わないほうがよかったのかもしれない。でも言う。〈臆病な順接より、大胆な逆接を〉という昔の諺がどこかにあったかもしれないではないか。

 

犬というのは言葉を操らないことで有名である。であるからして「ワン」なぞという特定の鳴き声を有さないことも、論をまたない。それぞれの個体がそれぞれの鳴き声を発し、その集合体が日本では「ワン」と聞こえるというにすぎない。このことは外国語で犬がワンと鳴かないことからも明らかである。外国の犬は「ワ」とだけ鳴く。という冗談はさておき。

犬がなんと鳴いているかということに関して、喧々諤々の論争をするヒマがないので、まあここはひとつ「ワン」ということにしましょうやということをニタニタした優男風のおじさんが言い始めて、さよう皆忙しいことであるしな、異議なし。という運びとなったのであった。この時に異議なしといった人たちが特別愚かなわけではなく、この人たちはこの人たちで犬の鳴き声の聞こえ方にこの人たちなりの表記があっただろうし、自分たちが犬はワンと鳴くと決めたからといって、当の犬たちがワンと鳴くようになるとは毫も思ってもいなかった。それでも、大人だし、まあまあまあといういい加減な精神でもって犬はワンと鳴くようになったのである。

こういういい加減な精神があればこそ、犬はワンと鳴くし、犬はワンとは鳴かないという謎のような状況が生じるのである。ところが、昨今では検索する技術が高度化したことにより、言葉の定義というのが曖昧から厳密にクラスチェンジしてしまった。しかもそれでいて、考える内容が学術的になったり専門的になるわけではないので、浅瀬のところで張り紙の張り合いのようなことが行われることになった。水そっちのけで看板の立て合いである。カタルシスという言葉の使い方が誤用だ、とか、ジャンキーの本来の意味は、とか、そういう面にばかり注意をとられて、感情を言葉で表現するのではなく言葉に沿った感情を抱こうとすることが増えてきた。言葉と感情の関係はある程度インタラクティブなもので、言葉が感情に寄ったり、感情が言葉に寄ったりすることのなかで育まれていく部分はある。両方あって両方いい。ようはバランスなのだ。

 

厳密に、正しいというそんな言葉があるとすれば、感情からすればそれだけですでに間違いである。感情を置いていった言葉になんの意味があるのか。そんなものはプロ間でしか通用しないし、それを真似ても日常にとってはナンセンスでしかない。また、とりあえずで決まったことを突き詰めていったところで、そんなものは犬も喰わない。こういうことはすべてあたり前田のクラッカーなのだが、言わないと分からないという場合もあるようなので言っておく。

そもそも僕は高校生の頃から生粋の猫派なので、犬がどう鳴こうがそんなこたどうでもいいわけで、取り立てて興味も湧かない。もののたとえというやつだ。

 

ただ、最後にひとつ言っておきたいのは、世間では猫は「ニャー」と鳴くと言われているが、あれは断じてちがう。正しくは「ミャー」である。厳密には「ミャア」である。これだけは本当だ。猫がそう言ったのだ。嘘じゃない。