「東京飄然」町田康 【読書感想文】

 

東京飄然 (中公文庫)

東京飄然 (中公文庫)

 

 

旅に出たくなった。なぜか。理由などない。風に誘われ花に誘われ、一壺を携えて飄然と歩いてみたくなったのだ。

 

 

最高のエッセイの条件とは、気の向くまま書かれてあるように読めるということである。

それはドキュメンタリー番組に俳優が出演することに似ている。

ドキュメンタリーで要求されるのは「素の自分」である。ということを俳優は知っている。俳優が観客の要求を知っている場合、彼らはその要求に応えようとする。そこで「素の自分」を演じることになる。そこに矛盾があって面白い。俳優は矛盾を解消できないままそれを自分の中にだけ隠匿しなければならない。演じるということで「素の自分」から遠ざかることになるが、演じていない自分を見せるということも彼ら自身から遠ざかることである。演じている状態が自然体なのが俳優である。そのため、なんだか遠いまま近しく見せないといけないような羽目におちいる。

これと同じようなことがエッセイにも見られる。自然体であるということはエッセイの条件のようになっている。もちろん本当の自然体ではない。「あー」とか「えー」とか書かれていても邪魔なだけで、〈読者に期待される自然体〉というのが条件であり、一生懸命(一生懸命に見えないように)それを拵えなければならない。

 

町田康は斜に構えたような読者を抱えやすいたぐいの作家だと思う。本人は真正面から物事を睨みつけるような作家なのだが、このひねくれた世の中では正対している者のほうがズレていると思われがちである。「ズレている=斜めっている」の図式は一秒で成り立つ。マジョリティは自分こそ正義とは思わないまでも、自分の感性が真っ直ぐであるということを疑ってかからない。「ここ」からズレているというのはやはりどこか「おかしい」と無意識に考えてしまう。俗に言うサブカル連中はそれをそっくりそのまま裏返しただけの存在にすぎないが、そういう輩は往往にして「素直さ」というものが欠如しており、自然体に対する要求も高い。彼らはメジャーな良識を拒み、マイナーな悪徳を賛美するのをこととする。小賢しく斜に構える姿勢を取ることが良識であり、それに反旗を翻して逆側の斜に構える姿勢が悪徳であると信じている。そして彼らは彼らの良識から離れているという理由で町田康を自分たちの仲間だと思い込む。

しかしまあ上等である。入り口としてはそれで十分だし、良識から離れようとするのも好奇心を持つために効果的だ。町田康を読むうちに彼の書くものが自分の設定した悪徳から隔たっているということを自然知るようになる。それが町田康を読むことのひとつの魅力だと僕は思う。この人は物事をとにかく真正面から睨みつけようとする。ようするにおかしい。

 

読書家というのは総じて意地が悪い。何かしら読むときには(たとえ罪のないキャッチコピーであっても)、フフンと鼻を鳴らす用意だけはつねにできている。自然体に対する要求が高い。彼らは彼らの正対姿勢を追求しようとするし、追求に腰が入りすぎて視野が狭まるということもあえて畏れようとしない。それでいて活字のなかに仲間を求めようとする。そういう輩に生半可な自然体が通用するはずがない。彼らは不用意な一文一語で著者を断罪するのを当然のことだと心得ている。それが良識ある行為だと考えている。

 

しかしそんな魑魅魍魎どもに怯む町田康ではない。その過度な期待、法外な要求を知っていてなお、彼は恬然と構えている。いや自然体にして構えていないようにさえ見える。要求される文体で要求されるまま、しかも勝手に書いている。そこに凄味のようなものがある。彼のエッセイには強烈な矛盾が渦巻いている。

町田康は書くものによってはジャンルで書くのが得意でないように見えることがある。「町田康」であることは崩れないが、ノンフィクションで書き始めたものがフィクションになっていったり、エッセイ調だった日常がやたら破壊的な世界に導かれて行ったりする。ジャンルを横断することに躊躇いがなく、躊躇がない分、置いて行かれるような気持ちにさせられることがある。「東京飄然」も東京近郊の紀行文として書かれていながら、内部にあらゆる逸脱が認められる。

 

それから、町田康の文章は読んでいるとよく「ハッハッハ」と笑わされる。僕が文章を読んでいてそんなふうに笑わされるのは町田康だけだ。文章に限らず映画を見てもテレビを見ても「ハッハッハ」とは笑わない。

たぶん僕はこわいのだと思う。おもしろいだけでこんなふうな音はたてない。「ハッハッハ」という笑い声には笑おうという意思が入っているような感じがある。

あまりに模範的な笑いが自分の口から漏れるものだから心配になったりもする。ギャグ漫画でもなんでもいいが、だれかが何かを読んで「ハッハッハ」と笑っているところを想像してみてほしい。やっぱりこわいと思うと思う。

僕の場合なんかは他ならぬ自分自身がそれをしているんだからなおさらこわい。町田康の「東京飄然」は正味3時間ぐらいで読み終えたのだが、そのうち30分間ぐらいは「ハッハッハ……」と笑い続けた。息継ぎするために本を置くこと頻りであった。

最高のエッセイかどうかはわからないが、特異なエッセイであることは間違いないと思う。単純にたまらなく可笑しいといえばそれまでかもしれないが。

 

あと、ここまで書いたあとで言うのもなんだが、「東京飄然」は町田康中級者以上向けのエッセイだと思う。町田康を読んでいない人は小説「くっすん大黒」を、町田康読み始めの人はエッセイ「テースト・オブ・苦虫」をそれぞれおすすめしたい。

とくに「くっすん大黒」は町田康のデビュー作であり町田康の最高傑作のひとつでもあると思う、町田康を知らない人にもつよくおすすめしたい。きっと「ハッハッハ」と笑うことになると思う。

 

 

くっすん大黒 (文春文庫)

くっすん大黒 (文春文庫)

 

 

テースト・オブ・苦虫〈1〉

テースト・オブ・苦虫〈1〉