バレンタイン再考

 
 

バレンタインデーが終わって早一週間。傷も癒えぬうちに反省点をまとめておかなければならない。辛いけれどそうしないことにはすぐに忘れてしまうので。

 

今回のバレンタインデーでは積極的に前に出る方法をとった。そのこと自体は今でも前進だったと思っている。これまでのバレンタインデーでは持ち前の引っ込み思案を活かし、消極的方法をとっていた。傷を最小限に抑えるためにはじっと甲羅の中に身を潜めておくに限ると考えてのこと。

 

しかし、今回ばかりは傷を負うのは覚悟の上、自分から手を出していこうと思った。わざわざ手を出さないでもくれる人はくれるし、くれない人はくれない。でも、くれる人からもらってもしょうがない。何もしないまま手をこまねいていればくれないままに終わってしまうような「くれない人」からもらってこそのバレンタインチョコだと当時の自分は不遜ながら思っていたのだ。そのため、奥さん、彼女、愛人、ガールフレンド、お店の人、子供の頃からの許嫁、そういうステディな関係の人からのチョコは当然ノーカウントだ。ただし元嫁、元彼女、元許嫁からのものはカウントしてもいい。余談になるが、ここ数年もらったチョコの数を増やすためにバレンタイン直前に破局するカップルが増えているらしい。俗にいうバレンタインブレイク(BB)である。その後しばらくしてBBのあとすぐに復縁するショートバレンタインブレイク(SBB)の手法も編み出された。私個人の意見だが、BBはともかくSBBでのチョコレートはカウントされるべきではないと思う。少なくとも自分はそんな方法は取らない。言葉はきつくなるが邪道だと思う。またBBも推奨しない。こちらはカウントしてもいいとは思うが、人として狙いに行かないほうがいいと思う。それは完全なる修羅の道だ。最近では街を歩いていても阿修羅の如き形相をしている人が増えてきているように感じるが、ひょっとするとこの辺りの事情も絡んできているのかもしれない。

 
自分はOGのチョコもカウントしない立場である。それをここに宣言しておく。一度それに味をしめてしまうと抜け出せなくなるのではないかという現実的な危惧もある。
 

そうするとチョコレートをもらえる相手というのは現実的に限られてくる。女友達というのも難しい。自分の場合に特殊なのかもしれないが自分の女友達はみな示し合わせたようにチョコレートをくれない。なんだかんだ言っても一番依頼しやすいところなので、毎年「よろしくおねがいします」という旨のメールを送るのだが、断られるならまだいいほうで、かならずといっていいほど黙殺される。もしかすると忙しくてメールを見ていないのではと思い、そのうちのひとりに「よろしくおねがいしますボケが」とメールしたこともある。1分しないで「うっせーバカしね」と返ってきた。

 
バイト先の女の子というのも難しい。近年やっているバイトはどれも女性が多い職場なのでその分チャンスも多い。しかし自分は天邪鬼なタチで、そういう場所で躍動する気にはどうしてもなれない。逆風吹き荒れるなかで躍動してみせたいというよくわからない意地がある。窮屈なので意地は通さないスタンスだが、それは理にかなった意地に限る。よくわからない意地は張るに限る。そしてそれをよしとする矜持がある。暗い青春に育てられたという矜持が。べつに日和っているわけではないし、言い訳ではない。これはポリシーの問題なのだ。
 

最高の逆風とはなにか? 自分は考えた。知り合いの女性に頼むというのはやはり甘えではないのか。チョコレートだけに甘えってやかましいわ。

 
最高の逆風とはなにか? やはり見も知らない女性に頼んでみるというのが厳しいのではないか。いや、ビターなのではないか。
 
これがわが失敗のはじまりであり、そのすべてである。バレンタインは人を狂わせる。自分は5分ぐらいで考えたこのアイデアが妙に名案に思えて、それ以上何も考えずに実行に移した。100円ショップでチョコを入れてもらう布袋を購入し、その袋を捧げ持つように携えて冬の街中を彷徨った。ものの数分しないうちに冬特有の寒さが容赦なく襲いかかった。道行く人々は心なしか皆暖かそうで幸せそうに見えた。その対照がよけい骨身にこたえた。メンタル的な限界はあっという間に押し寄せた。世の中が恨めしかった。自分は阿修羅のような形相で同じ通りを歩き続けた。何度も何度も歩き続けた。急にすべてが間違っているような気がし出して、女友達のひとりに「ボケが」というメールを送りつけた。すぐさま「しね」と返ってきた。自分は限界だった。背に腹は代えられないと思い、前のバイト先に押しかけてチョコをせしめてやろうと思った。ポリシーがなんだ。この日この時、自分の座右の銘は「臨機応変」に変更された。昔のバイト先は雑貨店であり、もはやすがるような想いでフロアを駆け上がった。そこには忙しそうに立ち働く元仕事仲間がいた。この瞬間ほど自分の愚かさを思い知らされたことはない。世の人は自分のように暇な身分ではないのだ。今度こそ自分は限界だった。ほうほうの体で店をあとにし、手近な焼き鳥店に入った。しこたま酒を飲み鳥を食った。チョコなんかより鳥のほうが美味いんだよ馬鹿野郎。すこし泣いたかもしれない。前後不覚の状態で街に出た。その時、店に入っていこうとする若いカップルとすれ違った。彼らは「なんでバレンタインに焼き鳥なんだよ〜」と言いながら楽しそうに笑っていた。よせばいいのに自分は見た。男の方がチョコレート屋特有の小ぎれいな紙袋を大事そうに携えているのが目に入ってしまった。今こそ自分は限界だった。
 

どれだけ歩いただろうか。よくわからない道をよくわからないまま歩き、自分は一件のバーにいた。見も知らぬバーだった。「わたしJKなんですよー」とか云うチャイナ服の女がカウンターに立っていた。自分は破れかぶれになって「今日はバレンタインですね」というようなことを口走った。会話にもなんにもなっていないけれどもそれはしょうがない。顔も真剣というよりは目が血走っていたかもしれない。じっさい自分は怒っていた。なんでこんな店に高校生がいるんだよと思った。自分には生真面目なところがある。そのままうなだれるようにして黙って酒を飲んだ。しばらくしてチャイナ服の女が裏に引っ込んだ。働ける時間が過ぎたので帰るのだという。内心では「早く帰れバカ、気をつけてな」と思いながら黙って見送った。しかし知らない人を黙って見送るのも失礼なので「おつかれさまです」とだけは一応言って見送った。知らない人相手にはどれだけ年下でも敬語を使ってしまう。

 

チャイナ服から着替えた女は思いのほか地味な格好をしていた。チャイナ服とのギャップからそう感じただけかもしれないが。せまい店だったから女は自分の座る椅子の近くを通って帰っていった。扉が閉まった、と思うとすぐまた扉が開いた。さっきの女が「忘れるとこだった」などと言いながら自分にむかって小さなビニール包を差し出した。手作りのチョコレートだった。バレンタインということで自分が来る前に店で配っていたらしい。女は渡すだけ渡すと何事もなかったかのようにふたたび扉を開けて出て行った。チョコレートは少し苦くてとても甘かった。

 

みたいな甘い話はあるはずもなく、自称・高校生のチャイナ服の女は時間ピッタリにすぐ帰ったし、その日貰ったものといえば、そのバーで隣のおっさんが帰り際に食い残したおかきのおつまみをくれただけだった。びっくりするぐらい有難かったけれど、びっくりするぐらい嬉しくなかった。そのようにしてびっくりするぐらい何事も無く今年のバレンタインは終わった。ただ、チャイナ服の女と入れ替わりでカウンターに立った自称・ハタチの女の人が柴咲コウ似でとてもきれいだったので、またこの店に来ようと思った。

 

来年にむけての反省点は「積極性と無謀さは似て非なるものだと肝に銘じる」。あと、今年もチョコくれなかった女友達の皆にもフォローのメールを送っておくことにする。ボケが。