コスプレ感覚


じつはコスプレが好きだ。

こんなことを言うとヘンタイだと思われそうだが、それはちがう。コスプレが好きと言っても僕の場合、見るのが好きなわけではなく、するのが好きなのだ。

十八番(おはこ)はなんといっても〈酔いどれ詩人〉のコスプレで、大学生の頃から機会があるたびに酒のようなものを飲んでは詩のようなものを吐いてきた。川をみればいつも飲みたくなったもとい酔いどれ詩人のコスプレがしたくなった。僕はおそらく、水が流れるのをみるとインスピレーションが湧くタイプなのだ。
なかでも大量の水が流れている川なんかはお誂え向き(おあつらえむき)で、趣味は川をみることですと言ってもいいぐらい、川の水が流れていくのを見るのが好きだった。まあ飽きない。コンディション次第では30分ぐらいは眺めていられたし、鴨川のような場所でどれだけ酔いどれたかわからない。

大学を出てしばらくすると酔いどれ詩人のコスプレも板についてきて、とくに川をみないでもインスピレーションを得られるようになった。さすがにアルコールなしで酔いどれることはできないので酒的なものは手放せないが、その都度詩的なものを吐き出さないでいられるようにもなった。
これはなかなか画期的な出来事で、普通の飲み会にもきちんと参加できるようになったということを意味した。普通の飲み会は楽しいけどルールがちがうので酔いどれ詩人の席はない。愉快だからといって「愉快だ!!!!」と絶叫するようなのはすぐにファウルをとられると思う。試したことはないけど。

学生の頃なんかはむしろクダを巻かないとコスプレイヤー失格だという尖鋭的な認識にたって、端っこのほうでほどほどに暴飲暴食のかぎりを尽くし、ほどほどに罵詈雑言を吐いたものだった。きたない言葉も「ありもの」を使うのではなく自分たちで拵えた(こしらえた)ものを使っていた。さすがにここでは言えないが「電波を利用して、永久的な形に受信するために静止影像を送り、又は受けるための通信設備」の俗称(F○X)なんかは今でも口走ってしまうことがある。

とはいえ、例外的な瞬間をのぞき僕は品行方正(ひんこうほうせい)そのものだ、やや品行方正すぎるぐらいだ。コスプレ衣装の上から猫をかぶっているような趣さえある。最近ではとくにその傾向が強い。
そんなことではいけない、自分は一コスプレ人として敢然と立ち上がらないといけない。かぶった猫の上にさらにコスチュームを着るべきだ。そう思ったのである。
仰々しく言うことではないが、僕はやっぱり飲み散らかしたいのだ。飲みニケーションもいいけど、合同コンパもいいけど、人生にはもっと大事な酔いどれがないだろうか、いや、ある。

飲み散らかそう。酒乱のコスプレをして無茶苦茶しよう。詩仙のコスプレして杜甫しよう。酒のようなものを飲み詩のようなものを吐いてクダを巻こう。でもちがうもの吐いて店員さんに迷惑かけることのないようにしよう。あと終電には気をつけよう。飲みすぎたと思ったらヘパリーゼ飲んどこう。
気を遣いつつ上手に飲み散らかしていきたい。もちろん、適時「ウェーイ」などという奇声をあげるに吝か(やぶさか)ではない。
とにかく全力で飲み散らかしていきたい。