ダサいセーターを着るとき


 男には泣くほどダサいセーターを着たくなる時がある。それも無性に、名状しがたい衝動とともに、なりふりかまわず、乱暴者の気分で、見るも無惨な極悪セーターを着たくなるのである。なぜか有頂天になって。
 しかし、そういう輝ける一瞬は得てして持続しない。服飾店であれほど向こう見ずな気持ちで当のセーターをふん掴んだのにもかかわらず、レジスター係にそれを渡す時にはもう後悔が始まっている。
なんとか後悔を押しのけ、今日こそ袖を通すんだと意気込み、実際にそうして意気揚々と出発しても、電車に乗るころには十数分前の自分の浅慮を恨む気持ちになっている。
そうして電車内は暖房が充実している、暑い、普段の自分ならコートを脱ぐ、が、今日の自分はコートを脱ぐ気になれない。暑い。情けない。冬なのに暑いという状況をどうにもできないのは文明の敗北にほかならないと思う。申し訳がない。あと暑い。
 暖房設備の充実と、衣料品のデザインの豊富さという人間社会の豊かさが仇となって、僕という個人の気分を悪くするのは本末転倒も甚だしい。暑い。文明ムカつく。
…暑さで何を言うつもりだったか忘れてしまった。
文明社会に対する警鐘を個人主義的観点から、
…絶対ちがう、暑くても、わかる。
 泣くほどダサいセーターを着たくなる瞬間があったように、ブログを書きたくなる瞬間があったのでブログを始めることにしたよ、よろしくね。これだ。
 泣くほどダサいセーターを着たら実際に泣くほどの目に遭う、この容赦ない世界で、ブログを始めるなんていうのはマジ愚の骨頂かもしれない。それでも始めようと思ったからとりあえず始める。持続するはずないとは思いつつ、いざとなれば高度文明社会をくさしておけばいいという気楽な気持ちで。
 ああそれにしても暑い、冬なのに暑い。ハンケチで汗拭うことだよ、冬なのに。

外は冬特有の寒さ