最近見た4本の映画の感想

 

映画の日(毎月1日)周辺に映画館で映画を4本見た。どれも面白かったので感想を書く。ネタバレはしないつもりだけど、ひょっとしたら勢い余ってしてしまっているかも。

 

・オデッセイ

・キャロル

・ディーパンの闘い

・サウルの息子 

 

 

・オデッセイ

 

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マット・デイモン、火星に取り残されてさあ大変。

淡々と事態に対処することで生き残ろうとするサバイバル映画。たった一人でろくに酸素もない火星に取り残されて、もっと暗い雰囲気になってもよさそうなものなのに、マット・デイモンは底抜けに明るい。無理して明るく振る舞う必要はない。他に誰もいないのだから。それでも、生き残るのに必要な作業をしながら音楽をかけたり、火星の悪環境に向かって悪態をついたり、ナチュラルボーン陽気なヤツ感が出ている。

主人公の人柄もあって、この映画は暗くはないんだけど、ところどころでさり気なく「たった一人で、生存に絶望的なことをわかって火星にいるのはどういう気持がするものなんだろう」みたいなセリフを地球上のスタッフに言わせていたりする。状況が明るくないということを皆わかっているし、マット・デイモン自身誰よりもそれを理解している。

いかに悲観的な状況であっても目を逸らしたりせず、出来る限りのことをしようとするプロフェッショナルとしての姿勢がある。しかも一人じゃなくて皆で。NASAはそういうチームなんだと描かれていて、正直かっこいい。

プロジェクトリーダーのナンバー1とナンバー2の意見が対立して、ナンバー2が自分の意見を通すシーンがある。結果にかかわらずその時点で「事が終わればクビにする」と言明しつつ、事が終わるまでは彼をプロジェクトから外さないナンバー1も、クビを受け入れつつ働くナンバー2も、両方かっこいい。

やり方が違えば目的までも違うように見せて、反対意見をわかりやすい「悪玉」として扱うことが多いフィクションの世界で、どちらの意見が正しいということなく、あくまで同じ目標に向かってアプローチが異なるだけだとする見せ方は難しいものだと思う。見せるにあたって簡単なのはこっちが善、あっちが悪という二元論だと思うけど、それをしないところに高級感がただよう。普通の場合はもっと安易な味付けをする。

たとえば、学園ドラマなどで、教頭は生徒のことをまったく考えない人物として描かれたりする。熱血教師が敢然とそれに立ち向かう、という構図を作るために。そういうのは効果的なんだろうけど安っぽい演出でもある。

片方が悪いからもう片方が良いというのは子供だましにすぎない。オデッセイにおけるマット・デイモンの感じがとても良く見えるのは、都合のいい悪者がいてマット・デイモンがそれに立ち向かっているからではない。地球側と文章でコミュニケーションを取れるようになったときにマット・デイモンがまず言ったのは、自分が火星に置き去りにされることになった事の顛末と、自分を置き去りにする決断をした船長に非はない、ということだった。

極端にコミュニケーションが限定される状況下ではコミュニケーションの重要性は否が応にも増すことになる。逆説的な表現で、「誰かと一緒にいるとかえって孤独を感じる」ということが言われたりするが、逆もまた然りで、「究極的に一人きりだと他人の存在を感じやすくなる」ということもあるのではないか。マット・デイモンが映画のクライマックスで誰かとコミュニケートするとき何を言うのかというのは映画全体を通じてだんだんつよい関心の的になっていく。考える時間はたっぷりあった。だから予めこう言おうと何パターンかは考えていたはずだ。

ラストシーンに向かって、こういうのがかっこいいだろ?というシーンが目白押しになる。スペースパイレーツの響きはかっこよくて可笑しい。

ラストシーンはこの映画のテーマがコミュニケーションだということを象徴しているような名シーンだと思った。

 

 

・キャロル

 

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恋の不可逆性と、美しさへ向かう可愛らしさ。

天真爛漫な女の子に恋をする美女の話。キャロル(ケイト・ブランシェット)は娘のクリスマスプレゼントを選ぶために訪れたデパートのおもちゃ売り場で、店員として働くテレーズ(ルーニー・マーラー)と出会う。そこから何のかんのとあってキャロルとテレーズは恋に落ちる。テレーズにはボーイフレンドがいたものの、望まれるままの関係で、自分の意志で恋をしたことがなかった。「自分が望むものが何なのかわからないのにノーということはできない」と言うテレーズ。キャロルがテレーズに惹かれたのはまさにそういうところだったのかもしれない。キャロルは「天からおりてきた女の子」とテレーズを評する。

実際にこの映画を見て「テレーズはべつに可愛らしくない」という人がいたらせひ会ってみたい。クリスマスシーズンのおもちゃ売り場でお仕着せのように着せられるサンタ帽の可愛らしいことといったらない。自分からかぶるのではなくかぶらさせられているところがポイント。また、その後のシーンで、ドイツ国旗の色合いの妙ちきりんなデザインの帽子をかぶっている、その間の抜け具合の愛らしいこと! 

しかし、恋に落ちたテレーズは、途端に美しくなっていってしまう。美しくなっていってしまう、というのはあんまり聞かない表現だと思うものの、そういうよりほか仕方ない。可愛らしさは影を潜め、自分の意志をしっかりと持ち、相手を拒絶することをおぼえたテレーズの冷たい表情はあくまで美しい。間の抜けた表情を可愛らしく見ていた同じ目で、その冷たい美しさを見ると、寒々しさにブルブル震える。そんなふうに美しくなった彼女と向かい合うキャロルに感情移入して見るとテレーズの視線は物凄い。実際にナイフで切られるような気さえする。

この映画の素晴らしさは、そうやって切られる側に回ったキャロルが、また例えようもなく美しいところにある。美しいものは傷つけられることでより美しくなる。疑うものはキャロルを見よ、だ。

タクシーに乗ったキャロルが街を歩くテレーズを見つけ、その歩く姿に見惚れるシーンが一番好きだ。人は美しいものを前にすると見惚れるものだけど、キャロルの場合、見惚れる姿もまた見惚れるほど美しい。

 

 

・ディーパンの闘い

 

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フランスで移民生活をはじめる擬似家族の苦闘。

スリランカの内戦ですべてを失った男は偽造パスポートでフランスに亡命する。そのために擬似家族を作らなければならない。赤の他人同士で夫、妻、娘というチームを作り、男はフランス・パリ郊外でディーパンという名で移民生活を始める。

はじめディーパンはタミル語しか話せないが、フランス語をおぼえることは生活をするために欠かせない。スラム化している団地の管理人として働き始めたディーパンはフランス語での会話ができるようになるなど、次第に環境に適応していく。また、擬似家族として集まった彼らだったが、心を通じ合わせるようになっていく。

この映画の緊張感は本物で、生活の苦しさや、知らない文化の恐ろしさが画面越しにしっかり伝わってくる。ラストシーンでディーパンは武器を手に戦う決心をすることになるが、彼の本当の闘いは環境への適応と、擬似家族を本当の家族にしようという試みにある。

彼は生き残ろうとしながら生き残る理由を探している。どっちがうまく行かなくてもダメになってしまう、そして、簡単なことですぐ決定的にダメになってしまうという綱渡り感覚が全編通じて続く。管理している団地の住人とすれ違うだけのシーンでも緊張感が半端じゃない。それに比べて最後の戦闘シーンは呆気なく、絶望的なほど現実感がない。

 

 

・サウルの息子 

 

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ガス室で見つけた息子の亡骸をきちんとした形で葬ろうとする男の執念。

ホロコースト強制収容所が舞台の映画を見るのはいつも気が重い。なぜ自分がそんな映画を見るのかよくわからないまま、それでも見ようとしないわけにはいかない。

絶望的な状況にあって、絶望的な作業に従事させられるゾンダーコマンド。その一人であるサウルの執念。ガス室の犠牲となった息子をユダヤ教の正式な手続きで埋葬したいという一心で動いている。

状況を考えれば当然だろうが、誰もがイライラし、怯えている。映画内で笑うシーンは二回しかない。一つはドイツ人将校の笑い、もう一つはサウルの笑い。どちらも強い印象を残した。

 

 

 

今回挙げた4本それぞれにそれぞれの特徴的な良さがある。

男の子には「オデッセイ」、女の子には「キャロル」、映画好きでその両方とも見たという人には「ディーパンの闘い」、ぜんぶの大人には「サウルの息子」をおすすめしたい。