鈍器のようなやさしさにブン殴られ


明治時代に自然主義文学というのが流行した。見聞きし、感じたことをありのままに書くのが文学であるという主義だ。「ありのまま」なんてきくと手垢のついたギャグのようにしかとれないけれど、当時の文学者は大真面目で自然主義を標榜していた。実際に自然主義を標榜していたのか、あとからそう名付けられたのかはよくわからないが、そういう流行に乗ってたくさんの小説が書かれたらしい。有名なのは田山花袋「蒲団」である。読んだことはない。

最近、色川武大を読みなおした。彼が実際に見聞きし感じたことが書かれており、「自然主義文学」の観がある。ただし、色川武大の場合、彼の見聞きしてきたものが尋常の範疇のものではないので、読んでいて「自然」という感じは受けない。それでも彼の書くものには捨鉢なところが多くあって、「ありのまま」という感じはつよい。
彼の自意識は文字通り歪んでいて、畸形という自己認識がはっきりしている。形容の仕方が矛盾になるが、まっすぐ一途に歪んでいるという感じなのである。実際、彼は、歪んでいるということにかけては人後に落ちないというようなことを頻繁に書いている。そのストレートさというのは自然主義文学に一脈通じるところがあるように思われる。落ちこぼれであるということを逆手に取って世の中を組敷いてやろうという強烈な意志の力を感じる。そういうむき出しのパワーにはギョッとさせられる。嘆息しながらも普通であることに自分を馴致させつつある身には怨念じみて見える。

ギョッとさせられるつながりで、最近になって明治大正時代の文学者の覚書のようなものを読んで、そのパワーに圧倒された。

自分は刺激のつよいものに影響を受けやすいので、自然主義文学を読むことに耐えられそうもない。自然とそういうものを避けて、漱石や鴎外など、安心して読めるものに落ち着いた。
安心して読めるものを読んでいると、自分が安心しているということも忘れて、より刺激ある方向に手を伸ばしがちになる。芥川とか永井荷風とか、安心して読めるもののなかでも一つの方向へと刺激を伸ばしたものを読むようになった。
そうこうしているうちに、砂上の楼閣という言葉に含まれるネガティブな側面をもあえてポジティブに捉えようとする傾向が次第に生まれた。オスカー・ワイルドの言葉を鵜呑みにして信じたりもした。蓮實重彦表象文化論を読んでその切れ味に胸のすくような気持ちも味わった。

色川武大の小説には「こう生きるしかない」と思いつめて生きる一群の人たちが書かれている。とても居心地が悪い。自分は能天気を絵に描いたような生活を送っているので、太刀打ちのしようがない。裁縫針が鈍器で殴られるようなもので、一方的である。そこにうすい反発心がないわけではないが、抵抗しようにも、あまりにもうすい。結局、圧倒され、矯正される。
自分なりに堅めて尖らせた針のようなものは、あっさりぐしゃぐしゃにされる。あとに残るのはやわらかい豆腐質のものだけ。
おそらく、叩き潰された針を後生大事にして手放さずにおいて、針だったものをかき集めて鈍器にすればいいのだろう。でも、自分はすぐに捨ててしまう。発揮すべきときに発揮できないでいた反発心が、発揮すべきでないときに発揮される。なんだこんなもの、新しいものを拾えばいい、と。
そうしてひしゃげた針は無雑作にゴミ箱に放り投げられる。
新しい針は無限にあるように思える。自分の能天気はこんなところにも表れる。

軟派な自分は、色川武大の持っている硬派なやさしさに惹かれる。彼の発揮するやさしさには一分の隙もない。その隙のなさにうすい反発をおぼえるにせよ、隙がないだけにいかんともしがたい。
苦痛をも厭わない腰の据わったやさしさを見ると、どうしても感動する。感動するが、やっぱり居心地は悪い。
色川武大は赤錆びてひしゃげた針でも捨てずにとっておくだろうという気がする。むしろ、ひしゃげていればいるほど大事にとっておくのだろう。

「たすけておくれ」という短編は今でいう医療ミスをモチーフにしている。この短編がおそろしいのは、自分の主治医である「名医」を患者である立場から描いていて、ひとことも責める言葉がないところだ。
簡単な手術だったはずが、何らかの手違いがあり、作者は生死をさまようような状況におちいる。全身麻酔がつかえない治療をあぶら汗を流しながら耐え、症状による苦痛にうめきながらも、じっと医者を観察している。それでもその目線に復讐の色はない。あくまで名医との個人的な交情だけを念願している。
なんだかよくわからないその執念につい笑ってしまう。

笑いがこみあげてくるようなことは、例外なくもっとも怖ろしいことなのである。


怪しい来客簿 (文春文庫)

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